講義レポート
第4期12月 惠美初彦先生による第8回目講義『立志式』
長かったようで短かった講義も、ついに最終回。
これまでの講義で内省してきた理念と来果を元に、各々が考えてきた五か年計画を発表する「立志式」が行われました。
デスクの上にはメンバーの想いが詰まった4期15名分の「立志録」。
皆さん、やや緊張の面持ちで発表の時間がスタートしました。
話し手の真剣さはもちろん、メンバー全員が視線ごと耳を傾けている様子は、第1回講義で恵美先生がご教授くださった「和談」そのものでした。
専門分野も強みも異なるメンバーだからこそ得られる多様な気づきに、頷いたりメモをしたり、熱意に感嘆しながら15人の発表を終えました。
ATAのメンバーは25~39歳の非常に多忙な世代の女性たち。
無い時間を見つけながら自分と向き合い続けた9ヶ月間で、私たちは確実に成長したことを実感することができました。
最期に、恵美先生から頂戴した「贈る言葉」をご紹介させてください。
「一生の間にある連続した五年、本当に脇目もふらずに、さながら憑かれて人のごとく一つの研究課題に自分のすべてを集中し、全精力を一点に究める人があったら、その人は何者かになるだろう。」
第一版「岩波英和辞典」の編纂者であり、山形大学教授となった田中菊雄先生の言葉です。
田中先生は稀有の努力家でした。
実績を見るにさぞ優れた家系の出身なのかと思いきや、高等小学校を中退するか、しないうちに国鉄の客車給仕係をしていたほど貧しい家庭だったのだそう。高等小学校は今でいう中学校に当たるため、田中先生の最終学歴は小学校ということになります。
そのような苦しい境遇の中、給仕係の辞令を受けた田中先生の思考は驚くべきものでした。
「他の少年は親から十分費用を出してもらって学校に通える。
しかし私は明日から働いて父母の生活の重荷の一端を担わせてもらえるのだ。
私は本当の学校、社会という大学校へ、こんなに幼くして入学を許されたのだ。
ありがたい、本当によい給仕として働こう。」
熱い涙を流し、こう思ったのだそう。
この時の気持を忘れぬよう、受けて帰った辞令を神棚に捧げていたといいます。
田中先生の偉業は努力によってのみ培われたのでしょうか?
いいえ、きっと違います。
恵美先生は「少年期に立志録を持つことによって人生が変わった」と言います。
その立志を、私達はこの日に立てることができました。
私達の同世代女性の中で、「立志録」を持つ人はどれだけいるでしょう。
出る杭を打たれる日本の雰囲気の中で、使命感を強く持ち、目標と計画を公言した私達がどうなっていくのか。
「必ず差が付くはずだ」と、恵美先生からお励みの言葉を頂きました。
私たち4期生は、定期的に立志報告会を開催することに決めました。
ATAを卒業しても、メンバー同士で励まし合い、目標に向かって七転八倒していきます。
8回に渡る素晴らしいご講義をくださった恵美先生、素晴らしいご指導のご機会をくださった照子先生、
本当にありがとうございました。
ATA 4期 箱崎かおり
箱崎 かおり
一般社団法人美容科学ラボ 代表理事