講義レポート

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講義日:2024年6月5日

第6期6月 第3回惠美初彦先生による特別講義『成人要目』

アマテラスアカデミア6期生 寺口がお伝えします。

例年であれば梅雨を迎えるころにもかかわらず、昼はからっとした陽気、夜はさわやかな風が吹き、半袖でも過ごせるほど心地よい日。6期メンバーはオンラインミーテイング、前週の東京での懇親会やSNSでのやりとりを重ねて、ピンと張り詰めるような緊張感は解かれ、心地よく背筋が伸びるような切磋琢磨しあう雰囲気に変化してきたように感じました。

今回も多くのメンバーが講義前のメイクレッスンを受け、プロのメイクアップアーティスの方々が作り上げる艶のある肌と「なりたい自分」を引き出すポイントメイクで自信に満ちた姿で講座に臨みました。私は髪型についてアドバイスをいただき、周囲にも好評です。

〈成熟した成人としての基礎とは…〉

第3回講義前半は、幼年要目、成人要目を学び、成人すなわち成熟した人間として必要な習得項目を知ることを目的とし、惠美先生より「成人要目」について解説をいただきました。

「成人要目」は惠美先生がお子さんを授かった際に、「大人として知っていたらよさそうなこと、できたらよさそうなこと、役に立ちそうなこと、社会で生きていくために必要なこと」をご自身で約2万項目拠出し、それらを5分野に収類して作り出された大人の心得の超大作です。

なお、幼年要目は幼年期向けの基本的な規範教示とされています。

子どもは「型」にはめるからこそ、成人になった際に「型破り」というかたちで個性を現しますが、現代は「型なし」になっているのではないかという疑問が呈されました。

そしてこの幼年要目、成人要目に加えて、惠美先生が新たにお孫さんのために「幼児要目(0歳~3歳)」についても作成されたそうです。幼児項目は以下の5項目です。

  1. 立腰(りつよう)
  2. 素読(読み聞かせ、音読、写本)
  3. 笑顔
  4. 挨拶
  5. 感謝

以上。

立腰については「志」との相関性があり、電車等でも姿勢・座り方をみれば「志」の有無がわかるとのことでした。「志」がないと利己的な「欲」にかわってしまいます。とっさに我が姿勢を正そうとしました。

惠美先生の講座の中で出会う文言は美しく、心に新しい風とその言葉の余韻は自己対話を沈潜させることができます。

「ファクト。事実は一体何なのか」という言葉は、二次情報以降の情報の信憑性について考えさせられます。

「『挨拶とは節目的状況における人間関係向上のための情報発信である』と定義するならば、情報発信したほうがその場のリーダとなりうる」という言葉は、自分から挨拶をすることの重要性を教えてくれます。

「不可解な情報が入った際にはYES or NOの判断をせず『知的保留』をする」という言葉は、感情的な判断の危うさと視野を広げる契機を生かすことを教えてくれます。

「形直影端(かたちなおければ かげただし)」という禅語からは、姿勢と精神性には相関性があることを、そして幸せだから笑うのではなく笑顔が幸せをつくることを心がけさせてくれます。

日常においてあいまいなままにしている違和感や忙しさで見落としがちな大切なことを言語化し、意識付けしてくださいました。惠美先生の講座は内省の時間でもあり、次回の講座までの間もずっと講座内容を反芻し、実践しています。

〈メンバーからのシェア〉

メンバーの感想シェアからはそれぞれの視座を学ばせてもらえます。今回メンバーの感想シェアで印象的だったのは「言葉の定義を大切にしていたこと」です。幼年要目の「わがままをしてはいけないとあるが、『わがまま』とはどういうものとして定義するのか」「弱い者いじめをしないとあるが『強い、弱い』の判断基準をどのように行っていくか」「成熟した成人の『成熟』とはどのような状態なのか」という意見がでました。何事においても鵜呑みにせずに自分ごととして仮説・実証していくうえで、十分な咀嚼を大切にしている姿勢をうけとりました。

惠美先生による成人要目の解説においても「良き相談相手をもつこと」はとても肝要であるとのことだったので、幼年要目、成人要目をともに学び、実践するATAメンバーはとても心強い存在です。

また、「和談」を前提としているからこそ互いが相手の意見をふまえ、その人の背景まで汲み取ろうという誠実さもとてもありがたく感じています。

<総括>

私自身、母親として子育てにおいて「躾」を身につけさせてあげたいと思っていますが、「子どもに言う前に自分ができているか」と立ちどまれず、我が子に「おしつけ」てしまい、それがブーメランのように返ってきます。

子育てとは大事業にもかかわらず、惠美先生がおっしゃるように「親になるのは無免許」です。人生において大切なことこそ自分自身で能動的に学ばなければ、知識を得られないのかもしれません。また、学びを実践しないことには知恵にはならないでしょう。その一方で知識と合わせて必要なことは目の前の子供と自分自身をよく観察することも重要だと考えます。多くの親がこどもよりも先に死にます。わが子の死期に、自分の人生をどのように振り返るかを見届けることができないので、子育ての「答え合わせ」というものは到底できないであろうと思います。人を育てるというのは花を咲かせることではなく、土台を築くために根を張らせるようなものだと思います。花は咲かせるものではなく、本人と環境により咲くべきときに咲くと考えています。

人を育てるときにはその影響が我が子のみならず、その子孫、さらにその先の未来まで波及することを想定して行わなければならないと思っています。意識はするけれども未来はわからないからこそ、いまできることは日々、自分の心身をただすことだと思います。

講座後から我が家の壁には幼年要目と成人要目が壁で活躍してくれています。

ATA6期 寺口 ゆき永

寄稿日:2024年6月22日
リポーター

寺口 ゆき永